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誰の問題か分からない
子育てや子どもに関わる仕事をしていると、「この問題は誰の問題か分からない」という時があります。
- 箸を上手に使えるようになりたい
- ダンスが上手に踊れるようになりたい
- 時間ギリギリにしか動かない
- 字をキレイに書かない
- 片づけをしない など
さまざまな問題を児童や保護者(自分を含む)は抱えています。
子どもについての問題として話を聞くのですが、本当に子どもの問題なのか?
考えていると分からなくなることがあります。
この問題は子どもの問題?
例に挙げた[箸を上手に使えるようになりたい][ダンスが上手に踊れるようになりたい]は子どもたちから聞いた問題(目標)です。
ダンスのことは我が子からです。
最近始めて練習に励んでいます。
子どもが純粋に自分の目指す姿を描いた結果生まれた問題です。
- 親が箸を使うことが上手になのに自分は上手じゃない
- ダンスを始めて自分はまだまだ踊れていない
自分にとっての課題を見つけて目標を決めていく。
この様な問題は子どもの問題でしょう。
そのような問題は解決がしやすいです。
子どもが自発的に頑張ってくれます。
自己の振り返りが難しいので、写真や動画等記録を残すことで過去の自分と比較ができて、達成感にも繋がりやすく理想的な問題に思います。
一方で[時間ギリギリにしか動かない][字をキレイに書かない]というのは、本当に子どもの問題でしょうか?
- 時間ギリギリにしか動かない→時間には間に合っている
- 字をキレイに書かない→読める字のため授業の振り返りはできる
子どもたちの生活がきちんと機能していれば、これらは問題ではないように感じます。
これらはどうして問題として挙がるのか?
それは親に「こうなってほしい」という希望があるからです。
- 時間に余裕をもって行動したらいいのに
- もっと字をキレイに書いたらいいのに
子どもの問題として挙がる内容ですが、親の問題ではないかと感じます。
そのため、親は必要に感じているけど、子どもは何一つ困っていないので、なかなか行動は変わりません。
親の希望のため、教育ベースで話すよりも説得ベースで話す必要があるかと思います。
- 時間に余裕をもって行動したら、忘れたことがあっても時間があるから間に合わせられる。だから、早く行動できる人になってほしい
- 字をキレイに書くと、読む相手が気持ちよくなるからキレイに書こうとしてほしい
子どもにとっての必要性がないので、親の気持ちを伝えることは大切と考えます。
しかし、子どもにとっては原体験がない状況のため、親子で共有しにくい問題と感じます。
また[片づけをしない]のように、教育として教えないといけない問題もあります。
赤ちゃんの時は親が片づけを行っているが故に、習慣として身につくのに時間がかかる問題もあります。
どこまでが子どもの問題なのか、それとも親の問題なのか、教育なのか。
整理していくことで子どもへの伝え方が変わってくるように感じます。
今後も日々感じる悩み事についてつぶやいていきます。
それではまた。