カップラーメンが出来るまで3分。
お湯を500㎖入れてください。
5袋入ってます。
炭水化物が12㎎入ってます。
世の中にはいろんな数や単位が溢れています。
上記の例はすべてラーメンの話になりましたが、ラーメン一つとってみてもいろんな数字があるものです。
数は体験出来るものでもあり、そうじゃないものでもあるように思います。
10までの数は日常に溢れており体験しやすいものに思います。
- お風呂に10秒浸かろう。
- リンゴを3個ちょうだい。
- お箸を2つママに渡して
このように小さい数字であれば体験を促すことは日常生活の中でもそこそこあるように思います。
しかし数が大きければ大きくなるほどそれは自分自身が経験したことのないものになりやすくなります。
- 私の戦闘力は53万です。
- 将軍になったので1万人部隊になりました。
- 4000道力なんて聞いたことねえぞ
など経験したことが無く、イメージがしにくいモノであっても絶望感やワクワクを感じることが出来ます。
また㎏や㎖等の単位となると、概念になります。重さや液体の量を表すものというのは分かりますが、これは人間が考えたものであり、頭の中で展開されるものです。
このような目で見えるわけでなく、体験しにくいものを理解する力を僕たちは生まれた時から持っているのでしょうか。
もちろん答えはNoです。
抽象的なものを考えることにも脳の発達が必要
体験したことのないもの、抽象的なものを分かるようになってくるのにも発達が影響してきます。
ここで関連するのは僕が以前ブログに書いてほったらかしてきているピアジェの認知の発達段階です。
ほったらかして来たものが数字の理解に絡んできます。
やはりただ、本を読むよりも出来事が絡んでくると学習意欲が湧きます。
以前も記載したように
- 感覚運動期 0~2歳
- 前操作期 2~7歳
- 具体的操作期 7~11歳
- 形式的操作期 11歳~成人
上記の様に思考の発達段階があると考えられています。
人は自分の体を動かして、五感で感じて物事を学んでいきます。経験したことから考えを発展させていきます。
自分の考えや今見えているものや考えを中心に思考をするのが、2.前操作期までのように思います。(解釈違ってたらすみません)
しかし世の中には自分自身では感じなくても存在するものがあります。
それはそうお化けです。
本日は終わり。
ではなく、
大きい数字や単位はそういった部類のものかと思います。
53万のような大きい数字を目で見たことはありません。
お金で53万円を見たことはありますが、お金の53万も記号のようなものに思います。
1円玉53万枚なら体験になるかもしれませんが。
そういった抽象的なものを考えられる、イメージ出来る様になることは難しく、7歳ごろから分かってくるようです。
そのため一年生から10000のような大きい数字を習い出したり、二年生で単位の変換を学んだりと授業内容が段階づけられています。
学校のカリキュラムは発達に合わされていたんだな、と改めて感じます。
見えない時にはどう対応する?
見える化、図式化をするのも一つの手段です。
頭の中でイメージできないので、見える形にするってことです。
ただ、皆が皆それで分かるわけではありません。
分からない→思考の発達が追い付いてないと考えることも一つです。
そんな時どうする?
自分に投げかけて終わります。
参考文献
手に取るように発達心理学がわかる本
小野寺 敦子著
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