傍若無人な娘
最近、妻から聞いた話。
妻のオデコに何かがついていたそうです。
2歳の次女はそのことに気づきました。
「ママ、オデコに何かついているよ」
と教えてくれました。
続けて次女は
「ママも見て、早く早く!」
と催促をします。
妻は
「ちょっとママは見えないよ」
と答えます。
すると次女は
「私は見えるもん!早くみてよ」
とキレ出したそうな。
なんという傍若無人。
本日も絶好調に2歳をしていますね。
まだまだ発展途上の子どもたち。
出来ることと出来ないことが明確にあります。
今回は、考える力が2歳なんだなと感じさせてくれました。
自己流!?2歳の論理
2歳くらいの論理は、自己流です。
心理学者のピアジェは認知する力にも発達の段階があるとして、『ピアジェの認知発達段階説』を提唱しました。
2歳は『前概念的思考段階』の時期になります。
物事の理解や法則が少しずつ分かってきているものの、まだまだ考え方や論理が自己流です。
一般的な法則とは離れています。
- 場所や服装が違うと同一の人物と分からなくなる。(父親が仕事着を着て、仕事場にいたら分からなくなる)
- 「そこのおもちゃ取って」というと「違う、これは積み木!」と怒る。おもちゃの中に積み木があるという法則までは気づいていない。
- ろうそくを見ると「ハッピーバースーデー」と聞いてくる(機械的連合)
- 紙で手を切って絆創膏を貼っていると「こけたの?」と断定して聞いてくる(類理)
- いつも父か母と保育園に行くが、父と母が二人一緒に保育園に行くと「じいじの家に行くの?」と聞いてくる
などなど。
少し、思い返しただけで自分の経験を中心に物事を考えていると思われるエピソードが溢れ出てきます。
個別な状況から一般的な法則を引き出すという推論になっていない、この論理を転導推理といいます。
私が見えるのだからママも見えるでしょ!
オデコというモノは自分で見えない
そんな世の常識から外れても、自分が見えるのならママも見えると考えている時期。
正論を言っても通じないことがよく分かります。
この時期にどれだけ説得しても、どんな完璧な言葉を用意しても通じないのは、まだまだそれを考えられる時期ではないということですね。
場や状況で考え方が変わるので、大人が泣きまねをしたり、ダダをこねるなど
- 大人の状況
- 大人の様子
などを見える形で変えられるモノに変化をつけた方が切り替えられるかもしれませんね。
今後も子供のエピソードから発達段階の整理と関わりを考えていきます。
それでまた。
参考文献
発達障害と作業療法[基礎編] 岩崎清隆/著