- 職場での話。刑事ドラマの説得場面は今後無くなるのでは?
- 人は成長とともにさまざまな集団に所属していきます。
- 刑事ドラマで犯人は集団を喪失していることが多い
- 家族集団は心の基盤。最後の砦。「実家の両親が泣いているぞ」はこれからも続く
職場での話。刑事ドラマの説得場面は今後無くなるのでは?
先日職場で雑談をしていました。
話題の一つに刑事ドラマの犯人の説得で「実家の両親が泣いているぞ!」と言うセリフ。これが今後無くなるのではないか?という話がありました。
なぜこの仮説が出たかというと
- 昔に比べて上品な両親が多いので、怖い父親、優しい母親の構図が少ない
- 両親が「この人に言われたら困る!」という対象になりにくそう
ということから将来は「実家の両親が泣いているぞ」と言われてもそんなに響かないのでは?となったからです。
その日出てきた結論は「NO!実家の両親が泣いているぞという説得の力は今後も続いていく!」です。
理由は集団の観点から家族が特別なものだから。
人は成長とともにさまざまな集団に所属していきます。
人は生まれながらにさまざまな集団に所属していきます。
生まれた時から所属する家族集団。
園児の時に所属する遊び集団。
小学校低学年の時に所属する学習集団。
それぞれの時期に自分に合う集団への参加をしていきます。
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小学校以降も自身の成長に伴い、さまざまな集団に所属していきます。
仲間集団
仲間集団は学童期の半ばくらい(小学校の中学年くらい)から始まる集団。
学習集団が先生という指導者のいる集団ですが、仲間集団は同性同年代での構成されます。
仲間と過ごし、楽しみ、支え合い、比べあい、モデルにもする。そうして自分探しをします。この集団はそんな役割を持っています。
準拠集団
青年期後半(高校生2年生くらい~)くらいに所属し始める集団。
ひとの態度や行動、価値観などの基準となるような自分の心の拠り所となる集団です。
大人になってからの友人との集まりや趣味の集まり等自分の支えになるものになります。
自分が所属していないものも準拠集団になるので、スポーツやアイドルのファン活動も人にとって準拠集団の所属になります。
自分が準拠したり所属する集団が少ない場合や、なんらかの理由でそのような集団を失ったり、集団から外れたりすると、ひとは不安になり、不適切な行動をとったり、仮の準拠集団を見つけようとする。
引用 ひとと集団・場 ひとの集まりと場を利用する 山根寛著
ひとは所属する集団が無いと孤独になり、心の健康を損ねます。
気楽にいれる仲間が必要になります。
社会集団
社会を構成する大きな集団、学校や職場、各種団体、地域のグループなどの機能集団のことです。
ひとは必ず何かしらの社会集団に所属します。良い社会集団なら自分にとって良いモノになりますが、ブラック企業等自分に悪影響を与える社会集団もあります。
社会集団が自分にとって良いモノになることも大きなハンディになることもあります。
刑事ドラマで犯人は集団を喪失していることが多い
ひとは社会人になった時に、自分の所属する集団や準拠集団、社会集団に所属します。
集団に所属することで心や生活が安定するのです。
しかし、刑事ドラマの犯人は何かしら悲しい過去があることが多いです。
- 事業に失敗した
- 恋人、家族を失った
- 信じていたのにだまされた。
さまざま理由で社会集団や準拠集団を喪失しています。
その結果、原因となる人に危害をくわえようとします。
犯人は絶望した結果、犯行に及んでいるワケです。
そんな犯人に残っているのは何か。
家族集団です。
家族集団は心の基盤。最後の砦。「実家の両親が泣いているぞ」はこれからも続く
家族集団は他の集団に飛びたつための支えとなるものです。
しんどくても自分には帰る場所がある。そのことが自分の挑戦の原動力になります。
犯人説得の時に、両親がいる時もあります。
そんな思いが犯人を踏みとどまらせるのではないでしょうか。
昔と今、未来で親と子の関わり方が変わっても、バーチャルの世界が広がっても、家族集団が心の支えになることは生物である以上変わりません。
「実家の両親が泣いているぞ」の説得は今後もドラマで続いていくと考えます。
それで解決したドラマを観たことはありませんけどね。
今後も雑談を発達や作業療法の側面から考えてアウトプットしていきたいと思います。
それではまた。