1週間に一回は発熱する次女。
次女の様子を見に来たじいじと遊べると思った長女。
保育園に行く時間になるとじいじと遊べないので泣き叫ぶ長女。
最近のブームが「なんでやねん」の長女。
「こっちのセリフだ」と思う私。
親の心子知らず(笑)
親だって悩む
親になってみて子育てという独特な苦労を感じています。
自分のコントロール出来ないところでおきる問題が多くあり、いつもスタイリッシュにニコニコして子供と関わりたいと考えてはいますが、上手くいかずに自己嫌悪を繰り返します。
しかし、完璧な親はいないものです。子供にとって何かしよう、この子を守ってあげようという気持ちがあれば良いように思います。しかし、それが間違った方向にいけば、子どもに悪影響します。子供のことを大事だという名目で、子どもが上手くいかないと思った時に、代わりにやってしまうと子供の機会を奪うことになります。良かれと思ってやっていることも良くないことになってしまうということは多々あります。
現代は教育に関わる情報も多く世に出ているので、親も学ぶ機会がたくさんあります。そういう意味では仕事と子育ての内容が近い位置にある今の自分の環境は恵まれているように感じます。
毒になる親
最近「毒になる親 一生苦しむ子供」という本を読んでいます。
著書では、毒になる親は「子供に対するネガティブな行動が執拗に継続、それが子供の人生を支配するようになってしまう親」のことを指します。
著書の例を見ると、虐待や育児放棄(精神の病気によって出来ていない場合もあります)アルコール中毒等、特殊な家庭環境の例が多いです。(著書曰くそこまで珍しいものではないとのことです)
親も完璧ではないので、たまに感情を爆発させても子供は大丈夫なようです。
いくつかの事例の中で、「残酷な言葉で傷つける親」が気にかかりました。
「残酷な言葉で傷つける親」
この事例が気になったのは、「身近におきやすいな」と感じたからです。
肉体的な暴力は分かりやすく、子どもに深刻なダメージを与えることは言うまでもありませんが、同じくらい言葉による暴力も子供にダメージを与えます。
ダメージを与える言葉は「死ね」や「消えてしまえ」等の分かりやすい悪口だけでなく、日頃言っているジョークの内容が子供をダシに使っているものであればそれが子供の心に影響を与えます。
「この子はうちの子じゃないよ、顔を見てごらん。病院で取り違えたんだ。
本当の子と交換してもらおう」
のような例が本文にありました。
日本でよく似たフレーズがあります。
「お前は橋の下で拾った」
ってやつです。
親は冗談だと言っても子供には関係ありません。
そもそも人を下げる冗談は言わないほうがよいですが、
冗談の内容と残酷さ、頻度によって冗談は冗談ではなくなります。
子供が憤慨した時に「冗談だよ」と言っても怒っていることすら否定される。
感情の行き場が無くなります。
内面化
親の言葉は内面化するとのことです。
内面化とは
「人間の脳は人から言われた言葉をそのまま受け入れ、それをそっくり無意識の中に埋め込んでしまう性質がある」
ということを言うようです。
親が「橋から拾ってきた」という言葉も子どもの心に入り込んでいき、心の奥底で「自分は橋の下で拾われたんだ」と残ります。
人間最後に頑張れるのは、心の中に支えがあるからです。心の奥底にあるものがこのような感情なら頑張ることは出来ません。
では、親は子供に何を言えばいいでしょう。
やはり子供を愛する気持ちを日頃から伝えると良いでしょう。
照れくさいのであれば、やっていることを承認することも褒めること。
「手洗いしてるね」「ご飯食べてるね」
やっていることをさりげなく言葉にする。
子供は見守られるという安心感の中で育ちます。
ということで僕も愛を今から子供に伝えてきます。
お疲れさまでした。