変わっていく運動会や生活発表会
先日、長女と次女が通っている保育園で生活発表会が行われました。
昨年まではコロナ禍ということもあり、保護者がいる中での開催はありませんでした。
我が子の一生懸命に歌う姿や集中が切れて髪を触り出す瞬間を見ることができて嬉しく思います。
激務の中、企画してくれた保育園の先生方には感謝です。
会は1学年ごとに集まって解散するという形式で行われました。
自分が園児だった時には、親は席取りのために全ての学年の演目を見ていたように思います。
今は小学校の運動会も体育発表会のように学年ごとに分かれて行うと聞きます。
人が同時に集まる時間が少ないほど、保護者や先生、子供たちにとって楽でしょうね。
自分自身が参加していた時に、運動会で他の学年の競技を待つ時間が長くて眠くなっていたことを思い出します。
コロナ禍を経て最適化を探した結果、少しずつ式の在り方が変わってきているのでしょう。
自分の子どもの時にだけ参加する形式は楽に感じたので、良い変化の仕方をしてくれてありがたく思います。
月齢の違いを大きく感じる園児たち
10人前後の同じ年齢の子たちが集まる様子というのはなかなかありません。
改めて見ると身長の大きさの違いに気づきます。
小さいと思っていた次女はクラスの中では大きい方でした。
次女はクラスの中で誕生日が早い方です。
半年以上誕生日が違う子もクラスの中にはいます。
逆に長女はクラスで誕生日が遅く、身長はクラスでも小さい方です。
頭身が増えてきている子たちがいる中で、幼児体形を保っています。
同じ学年の中でも、育ちが大きく違うことを感じます。
別の日に仕事で親子教室に行くことがありましたが、そちらでも同様のことを感じました。
同じ年齢の子たちが集まる中で、道具の使い方に違いがあります。
その日の親子教室では色塗りの作業が行われており、道具は筆と絵の具が出ていました。
児童によっては、筆を使う子もいましたが、筆を使おうとしない子もいます。
観察の中で「手につけたらこの子はするんだろうなぁ」と思われる子がいます。
筆を渡された時に、
これは書くモノ、書く時の動きはこう!
と今までの経験が繋がると書く遊びをしようとするでしょう。
動きと動きの組み合わせや道具と動きの組み合わせのパターンが自分の中でで増えてくると、初めて渡される道具でも予想して使っていくようになります。
小さい子どもはその経験が少ないからこそ、予想がつかず道具に興味をもてなかったり、違う道具でも形状が似ていると同じモノのように扱うことがあります。
(イメージが育っているから同じように扱えるという側面もあります。)
その積み重ねやイメージの量が児童によって違っていました。
同じ年齢でも、月齢が違うと身体面、認知面の違いが大きく出ます。
特に園児の間は、月齢による差が大きいです。
周りが出来ているからではなく、今の自分の子供の状況を見ることが大切と再認出来ました。
今後も生活であったことの感想を書いていきます。
それではまた。