ある画家の話
出勤途中、いつもよりも景色に意識を配っていました。
運転中だったので、そこそこにですが。
なぜいつもより周りを見ていたかというと、
以前お話をした画家の話を思い出したからです。
よく通うコーヒー豆屋さんでは定期的に個展が行われており、その日は画家の方が来店されておりました。
画家とお会いするのは初めて、すこしドキドキ。
いくつかの絵が飾られていたのですが、絵の一つに緑色の壁のマンションがありました。
僕が
「この絵の壁は想像で描いたんですか?」
と尋ねると、画家は
「いえ、電車に乗っていた時に窓から見えたんです。」
と答えてくれました。
「外の景色を見ているとそんな出会いがあるんですね。」
そんな会話をしました。
そういえばそんなこともあったな〜と周りに意識を配ると
倒れた歩行器とそれを見ながら立っているお婆さんがいました。
お婆さんの様子を見に行く
歩行器は、横に用水路がある道に倒れていました。
歩行器はもう少しで用水路に落ちそうに見えました。
一瞬のことだったので通り過ぎてしまいましたが、
Uターンをして様子を見にいくと、
歩行器を押して歩いているお婆さんがいました。
どういうこと?
お婆さんに
「大丈夫ですか」
と聞くとお婆さんは、
「そこの草を抜きに行くの」
とすたすたと歩いていきました。少し耳は遠そう。
歩行器が倒れていた場所を確認するとすこし段差があります。
道の幅は歩行器より少し広いくらい。
もしかして、お婆さん、段差を超えるために歩行器を持ち上げて支えずにわざと倒した?
職業柄、認知症っぽいかどうかを察知することは得意です。
今回はそうでは無さそうでした。
ここまで計画的に行動されていることを止めるのも野暮なので、「お気をつけて」
と伝えて去りました。
自律について考える
作業は、私たちのなかに、当たり前に存在しているので、批判的視点をもたなければ、考えを前に進めることができません。
カントは、人間は自律的存在であると考えました。自律的存在いうのは、好き嫌いや損得で行動するのではなく、道徳規範を自分に課して正しい行動ができるということです。
自律的存在であるから、当事者の意思は尊重されなければならない。
引用 「作業」って何だろう 吉川ひろみ書
一瞬、足元の不安定なお婆さんが用水路に落ちる可能性のある道を歩いていたので、止めようかと思いましたが、このお婆さんは本当に危なかったのだろうかと考えると違うように思いました。
しっかり足場の理解もあるし、計画的に行動している。行動の目的もはっきりしている。
お婆さんは草むしりをするという自分にとって価値のある作業を行うためにアクションを起こしている、改めて考えると口を挟むことは無かったんだなと感じます。
保護者、支援者に必要な姿勢
そう考えると大人も子どもも一緒だなと感じます。
なんとなく刃物は危なさそうだから渡さない、これは分からないだろうからやらせない。この考えをどうやったら出来るのかに転換すると心が満たされていくように思います。
子どもは道徳模範がまだ形成されていないので、そこへの声掛けは必要になりますが。
手伝いすぎてもいけないけれど、その方法を考える。
そういう人に私はなりたい。